紙は神に通じる…のかもしれない。
初夏だ、晴天だ、ならば紙漉きだ。
気候が比較的冷涼で、かつ日差しの強いこの季節に一番やりやすいことといったら…紙漉きです。
紙漉きは冬の農閑期に行われていた副業でありますが…当然冬に漉くのは大変です。水は冷たい手は動かない紙は乾かないの三重苦。
冬の間、紙漉き担当の沢木さんは手を真っ赤にかじかませて紙を漉いていました。一枚漉いては暖を取らないと、指先の感覚がなくなるどころか、かたまってしまいます。
ので、ようやく思い切り紙を漉ける季節がやってきたのでした。
写真:紙を漉く我らが姐御、沢木隊員。
無形文化遺産は伊達じゃない
昨年、「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」が無形文化遺産に登録されましたね。
今回登録されたのは、「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)と「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)、「細川紙(ほそかわし)」ですが……
麻績和紙も、それらと同じく国産(村産)楮100パーセントでつくられています(`・ω・´)キリッ
職人さんのつくるものと比べるのはおこがましいのですが、できるまでの工程は変わりません。
すべて手作業という点では、おそらく一番手間がかかっていると思います…笑
写真:中嶋隊員が作った「和紙ができるまで」
一見ではわかりづらいのですが、一から十まで、尋常ではなく時間と手間のかかる作業です。
昔のひとはなぜ、あるいはどこから、楮の木を紙にしようなどと思いついたのか…と考えずにはいられません。偶然なのだろうか。いずれにせよ神秘だなあ。
実際紙は神に通じているのか
紙という字の偏の「糸」は、蚕糸を撚り合わせた形により、糸を示す象形文字で、旁(つくり)の「氏」は、匙(さじ)の形を描く象形文字で滑らかなこと表します。すなわち、糸+氏=紙で蚕糸を匙のように薄く平らに漉いた、かつ柔らかいものをいいます。(注)「紙(し)は砥(し)なり、その平滑なること砥石(といし)のごとき」(「釈名」劉煕(りゅうき)著)
当時の紙の製造法が、屑絹糸を平面に漉いて、滑らかにしたことから「紙」の字が成立したわけです。
上・神・髪・紙は、いずれも「かみ」と読む。そのため「神は上にいるから神という」あるいは「紙は神聖なものなので紙という」といった俗流語源説が生まれた。しかし、このような説は、今では否定されている。
万葉仮名の研究から、上代日本語には、現在の「み」にあたる音に2種類あったことが分かっており、甲類の「み」・乙類の「み」と区別されている。上・髪・紙の「み」は甲類であり、神の「み」は乙類だ。そのため、上と神、神と紙とのあいだに語源的なつながりがあるとは考えられない。
語源的な関連性はない模様。
けれど「神」とは別に生まれた「紙」ということばが、後天的に類似した音として関連付けられて、「神聖なもの・大切なもの」のイメージに結びついてるってことは、ありそうな気がします。
ちなみに、和紙でくられた布「紙布」は、神事の衣装などにも使われることがあるそうです。
精練された技術と真摯な想いによってつくられたものというのは、いずれにせよ「神に通ずる」のかもしれません。
次回予告
漉いた麻績和紙はこんにゃく糊を塗布することによって耐久性が増し、耐水性も身につけます。
次回はそんな和紙を縫ったり切ったりして作った作品を紹介できれば、と思っています。