私と言葉と麻績と

長野県東筑摩郡麻績村。「麻を績む」と書いて「おみ」。発見のメモ帳。

Tumblrに移行気味、なはなし。

どうしてもブログの更新が滞ってしまうので、スマホからぽいっと更新できる Tumblr はじめました。こちらのブログも、折に触れて更新していこうとは思っているのですが、もっぱらTumblrからの更新が増えそうです。

今は昼休みですが、午後は協力隊総動員で蕎麦畑の草刈りです!!雨天決行!!頑張ります!!笑

 

ひとつ告知。

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ご縁あって、というか麻績村の協力隊に寄稿依頼があって、なぜかわたしに回ってきて、寄稿しました。たった1000字で語れることなどなきに等しいのですが…。献本いただいたのでわたしもこれから拝読します。一体どんなことが書いてあるんだろ。

俳句とわたし

 久しぶりのブログは、活動のことではなくて休日の習い事のこと。

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 昨年の六月頃から、お世話になっている方に誘われて「月読句会」なる、俳句の教室に通っています。と言っても、なかなか都合が合わずに二ヶ月に一回ほどの出席なのですが…(教室は月末の日曜日の月一回)。講師は岳俳句会小林貴子先生です。

 大学では日本文学科に在籍しているので、俳句に全く縁がない…というわけではないのですが、「読む」と「詠む」とでは大違い。文章を書くのは好きなのですが、そもそも普段は、どちらかというと言葉を重ね、連ねていく文章(小説)を書いているので、俳句の五七五の短さというのには悪戦苦闘するしかありません。「この内容、せめて短歌(五七五七七)なら詰め込めるのにー!」と地団駄踏むこともしばしば。

 けれど楽しいです、俳句。季語のうつくしさが好きです。

 過不足のない、無駄もない、洗練された五七五というのは、するっと耳と目から内側に流れ込んで、なんかいも頭の中で繰り返されます。そういうところも、好きです。

 

 普段の句会は、各々が三句ずつ持ち寄るのですが、今日の句会は「吟行会」といって、色々な場所を巡って、その場で句を作る、というものでした。これは初めての参加。梅雨の合間の快晴のもと、歩き回って参りました。

 ちなみに、句会というのはこういった流れで進められます。(リンク先参照)

haiku-nyuumon.com

 

 冒頭に挿入してある写真は、芦ノ尻の道祖神

 正面から見るとこんな感じ。

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  ひょうきんな顔してやがるぜ。ここ数日の雨風に打たれて、お疲れのようです。

 

 そのあとは信濃観月苑で陶芸作品の展示をみて(高野村長がFBで紹介してくれていました)、苑内を散策して(その際になんと、今年初のオオムラサキを目にしました。綺麗!)

 シェーンガルテンおみで昼食をいただいて、こちらのお庭もぐるりとめぐり。

 せっかく麻績の宣伝をするチャンスだったのに、道祖神しか写真を撮っていないという…この …。

 

 そんなこんなで本日詠んだ六句。

道祖神目を細めけり梅雨晴れ間

・風招け青空を呼べ夏の蝶

・夏の星土の器に宿りけり

・飾るなら青野には白花と雲

・夏の山彼方におらず近う寄れ

・紫陽花のがくに見つけた星の欠片(かけ)

 披講の際に数人に「ロマンチック」と言われたのがどうにも恥ずかしかったです…笑

 あと「近う寄れ」を「殿様みたい」と言われました。

 ロマンチストな殿様です!!

 

 星とか空が好きで、ついつい同じモチーフを使ってしまうあたりも、わかりやすい。

 精進!

 

 活動のこともぼちぼちブログ書いていきたいです。

紙は神に通じる…のかもしれない。

初夏だ、晴天だ、ならば紙漉きだ。

 五月。花桃も散って、麻績の風に夏の香りがただよいます。

 

 気候が比較的冷涼で、かつ日差しの強いこの季節に一番やりやすいことといったら…紙漉きです。

 紙漉きは冬の農閑期に行われていた副業でありますが…当然冬に漉くのは大変です。水は冷たい手は動かない紙は乾かないの三重苦。

 冬の間、紙漉き担当の沢木さんは手を真っ赤にかじかませて紙を漉いていました。一枚漉いては暖を取らないと、指先の感覚がなくなるどころか、かたまってしまいます。

 ので、ようやく思い切り紙を漉ける季節がやってきたのでした。

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写真:紙を漉く我らが姐御、沢木隊員。

無形文化遺産は伊達じゃない

 昨年、「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」が無形文化遺産に登録されましたね。

 今回登録されたのは、「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)と「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)、「細川紙(ほそかわし)」ですが……

 麻績和紙も、それらと同じく国産(村産)楮100パーセントでつくられています(`・ω・´)キリッ

 職人さんのつくるものと比べるのはおこがましいのですが、できるまでの工程は変わりません。

 すべて手作業という点では、おそらく一番手間がかかっていると思います…笑

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 写真:中嶋隊員が作った「和紙ができるまで」

 

 一見ではわかりづらいのですが、一から十まで、尋常ではなく時間と手間のかかる作業です。

 昔のひとはなぜ、あるいはどこから、楮の木を紙にしようなどと思いついたのか…と考えずにはいられません。偶然なのだろうか。いずれにせよ神秘だなあ。

 

実際紙は神に通じているのか

紙という字の偏の「糸」は、蚕糸を撚り合わせた形により、糸を示す象形文字で、旁(つくり)の「氏」は、匙(さじ)の形を描く象形文字で滑らかなこと表します。すなわち、糸+氏=紙で蚕糸を匙のように薄く平らに漉いた、かつ柔らかいものをいいます。(注)「紙(し)は砥(し)なり、その平滑なること砥石(といし)のごとき」(「釈名」劉煕(りゅうき)著)
 当時の紙の製造法が、屑絹糸を平面に漉いて、滑らかにしたことから「紙」の字が成立したわけです。

引用元:(1)「紙」という漢字の語源について 

上・神・髪・紙は、いずれも「かみ」と読む。そのため「神は上にいるから神という」あるいは「紙は神聖なものなので紙という」といった俗流語源説が生まれた。しかし、このような説は、今では否定されている。
万葉仮名の研究から、上代日本語には、現在の「み」にあたる音に2種類あったことが分かっており、甲類の「み」・乙類の「み」と区別されている。上・髪・紙の「み」は甲類であり、神の「み」は乙類だ。そのため、上と神、神と紙とのあいだに語源的なつながりがあるとは考えられない。

引用元:blog.鶯梭庵/language/「紙」の語源

 語源的な関連性はない模様。

 けれど「神」とは別に生まれた「紙」ということばが、後天的に類似した音として関連付けられて、「神聖なもの・大切なもの」のイメージに結びついてるってことは、ありそうな気がします。

 ちなみに、和紙でくられた布「紙布」は、神事の衣装などにも使われることがあるそうです。

 精練された技術と真摯な想いによってつくられたものというのは、いずれにせよ「神に通ずる」のかもしれません。

 

次回予告

 漉いた麻績和紙はこんにゃく糊を塗布することによって耐久性が増し、耐水性も身につけます。

 次回はそんな和紙を縫ったり切ったりして作った作品を紹介できれば、と思っています。

去りゆく春に手向けるように

 この土日は両日とも、花の名前を関するお祭りでした。

 日向地区の「桜まつり」と、北山地区の「かたくりまつり」。

 去年、まだ麻績にきてひとつきと経っていなかった私が、出向いて多くの方と初めてお話しした、思い出深いお祭りでもあります。今年もお手伝いにいけてよかった。

 

日向地区の桜まつり

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 会場は旧日向小学校(現第二公民館)。

 校庭に沿って咲き誇る桜は、60年前の卒業生たちが植えたもの。

 桜を植え、桜とともに麻績で過ごしてきた方々が主軸となってはじまった「桜まつり」は今年で9回目。

 前日におでんとお蕎麦を準備して、当日を迎えました。

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  やわらかな晴天のもと、日向地区に伝わる「秋葉太鼓」の音が響く。

 「桜」の語源のひとつには「さ(神霊)」の「くら(座)」というものがありますが、その姿を見れば、なるほど確かに神様がいらっしゃってもおかしくない。

 五穀豊穣を願う太鼓の演舞と、神坐す桜。

 うつくしい一景でした。

北山地区のかたくりまつり

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 麻績村の村花・かたくりは、この季節に咲く紫色の可憐な花です。

 上平地区の方々を中心に発足された「かたくりを愛する会」の方々が、かたくりが花開くこの時期に催すのが「かたくりまつり」。

 すいとん汁をご用意して、かたくりを観に来た方をお迎えします。

 この日も天気に恵まれ、澄み渡った青空の下で、アルプホルンが奏でられました。

 (写真がなくてすみません…!)

 北山は標高が高いため、桜も今が見頃です。

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 こぶしの花も風に揺れています。

 空の色が夏じみてきました。

 少しずつ、けれども確実に、春が去っていこうとしています。

もっと知ってもらいたい

 「桜まつり」なら桜、「かたくりまつり」ならかたくり、どちらもその土地に根ざす思い入れのある花の為に、村の方が興したおまつりです。

 規模は大きくありませんが、手作りのおそばやすいとん汁は本当においしい。

 

 手をかければ、時間をかければ、必ずしも結果が出るわけではない。

 というのは百も承知なのですが、それでも、村の方が大切にしているものに触れるたびに、ただただ「知ってほしい」と思います。(もちろん、現地に来ても欲しいのですが)

 

 大好きな場所、大好きな人たち。大好きな人たちが大切にしているもの。

 このブログが微力ながらでもそのお手伝いになれば…とおもうのですが、そのためにももう少し「ブログの書き方」なるものを勉強しなくてはいけないような。

 

 がんばります。

桜染めの話:おそらく花の中に最初の視覚が試みられた

 記事名は、フランス画家オディロン・ルドンの作品から(詳細)。

 美術館でこの作品と作品名を見たとき、”人間の「目」と植物の「芽」は語源的につながりがある”という話を思い出したのもあり、とても印象に残っているのでした。

 「目=芽」だけではなくて、「鼻=花」「耳=実」で、人の「死ぬ」は植物の「萎(しな)ぶ」に対応していて、人の「魂離(たま・か)る」は植物の「枯る」に対応していると言います。

 人間は言葉によって、植物と自らをつなげていたというか、同一視していたというか…。面白いなあ。

 参考:ひらがなで読めばわかる日本語/大西進

春だ!桜だ!桜染めの季節だ!

 麻績の桜もいよいよ満開に近づいて参りました。

 よし、桜染めをするぞー!と、公民館の調理室を借りて、村の方と枝をちょきちょき。

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 外の桜は盛りでも、草木染に使用するのは、花が咲く前の枝。

 先日、同僚の方が聖高原で剪定の際にでた桜の枝をいただいて来てくれたのです。

 ただこの枝、蕾と一緒に葉の芽も出ているような。 ソメイヨシノではなさそう。

 こんど、お聞きしてきます。

 

 桜の淡いピンクがでたらいいなあ、と思いながら作業開始。

煮出した

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  お、思いっきり、黄色だ…。

 桜色になるはずがない、と思いつつも「それはそれで」と思い木綿のストール(地入れ済)を浸す。

  すると…

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 微妙に!うっすらと!桜色だ!写真だとわかりづらいけれども。

 枝から黄色い液が抽出されることにも驚くし、黄色い液から赤みがかった色に染まることにも驚く。

 草木染は、こういうところが面白いです。

春色のストール

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 本当に、淡い色なのですが、このような色合いに染まりました。

 が問題が一つ。

 実はこの生地は、一つ上の画像の生地とは違います。

 一つ上の画像の生地は、媒染液(植物染料の定着をよくする為に浸す、金属を含んだ液)に浸けた途端に黄色に戻ってしまったのです。

 それはそれで可愛らしい色だったのですが、私としては桜色をどうしても残したい気持ちがあり、

 この画像の生地は、酢酸で色止めを行っています。

 もとより、化学染料より褪せやすいことが特徴の草木染。

 この色はどのくらい保ってくれるのかしら……。

感覚から理論の理解へ

 草木染は、植物というイキモノを相手にするので、同じ植物を使用しても、採取時期、採取場所、当日の天気、煮出しの温度…と数え切れない条件の変化ひとつで、色が千変万化します。

 それが魅力ではありますが、勘だよりでやっていては得るものがなにもありません。

 色素の名前、温度と酵素の関係性、諸々。

 もっと踏み込んだところを、勉強していかねばと思っています。

 

 といいつつも、春は何と言っても植物がいきいきとする季節!

 身の回りのもので、たくさん春の色を染めてみたいです。

わたしとカメラのはなし

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 大学生になってバイトをはじめ、「草原に行きたい!馬に乗りたい」と思い、「それならついでにカメラが欲しい!」と思い立って、1年後。

 一眼レフを買ったのは2012年の1月。

 年末の居酒屋バイトで稼いだお金を片手にヤマダ電機へ。

 買ったのは「Canon EOS Kiss X4」のダブルズームレンズキット。

 隣には既にX5が並んでいたのですが、懐と相談してX4に。

 

カメラを持って内モンゴルに行った

 2012年夏。念願の草原!念願の乗馬!

 結論:馬に乗っていては写真は撮れない

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 でも楽しかった。

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 後ほどいただいた唯一の乗馬写真。眉毛なんてものはない。

 

カメラを買ってから3年経ちました

 現時点で追加レンズはなし。

 接写も、星空の撮影も好きなのですが…身の丈にあったカメラライフを送っています。

 撮り方としてはは、モードはM、絞り値はできる限り低くし、シャッター速度で明るさを調整、といった感じです。ぼけた背景の色が好きなのです。

 いまだにわからない用語もたくさんあります。この向上心の低さで一眼レフを持っている意味はあるのだろうか、と思ったりもしますが…自分が楽しければそれでいいのだ。

 

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  今日撮った梅(?)の花。

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 去年撮った麻績の桜。今年はどんな風に撮れるかな。

 

 私にとっての「良い写真」は、「美しいと感じた一瞬が、嘘や幻ではないと証明してくれる」写真なのかなあと、思います。

 私たちの瞳は動き続ける世界を捉えているけれど、「動」というのは「一瞬の静」の連続から成り立つもので、その一瞬の静のなかに、美しさがあるのだと思うのです。

 それを証明してくれる写真が、好きです。

春のおまつり

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 麻績で過ごす二度目の春、年度はじめの地区行事。

 御岳山 春季例大祭です。

 この行事が、去年はじめて地区の方々と顔を合わせた場でした。

 

 出店も興行もない、純粋な「お祀り」。ご神事です。

 朝6時前に集合して(5時半すぎには人がぽつぽつ集まるのだから油断できない)、雑草や苔をお掃除。午後から神主さんをお呼びして、神事を執り行います。

 小さなお祀りではありますが、掃除をしご神事に参加される地区の方々のご様子や、聞かせていただくお話からも、この場所と信仰が大切に受け継がれてきたのだということが察せられて。難しいことはわからずとも、自然と頭が下がります。

 

 地区の方々のおかげで、見知らぬ土地での1年間を、なんの不安も障害もなく過ごす事ができました。

 協力隊として地区の方々と過ごせるのもひとまずはあと1年。少ない機会を大切にしていきたいです。

 

 神事で気になったことを、下記にメモ。

かしこみかしこみもうす

 神職の方が唱える祝詞でよく耳にする一節「かしこみかしこみもうす」、

 正しくは「かしこみかしこみもまをす=恐み恐みも白す」なのですね(調べた。でも表記揺れも多数あるのでこれが正確かは不明)。

 意味としては「恐れ多くも申し上げます」なので「も白す=申す」なのですが、

 「白」という漢字の使い方が、面白いなと思いました。

 熟語の「告白」に使われる「白」と同義なのかな。

 余談ですが「白」の語源は「記す」「著し」「知る」などと共通であると、本で読んだことがあります。ぼんやりと、「しろ(しる)」の音の持つ意味が見える気がします。

たまぐしほうてん

 漢字で書くと「玉串奉奠」。すごい字面だ。

 『神事で行う「玉串奉奠」は、仏式の焼香にあたるものといってよいでしょう。玉串とは榊の小枝に紙垂(しで)をつけたものです。
玉串奉奠とは、玉串に自分の心をのせ、神にささげるという意味がこめられています。』

 (出典:http://www.osoushiki-plaza.com/library/sikitari/tamagusihouten.html

 なるほど。

 

 昨年11月から3月末まで、前任の方から引き継いで「麻績の伝統行事」という冊子を編集していました。そのなかで、村の方から村の祭事について色々教えていただいたのですが、まだまだ知らないことがたくさんです。

 「麻績の伝統行事」は、麻績村役場村づくり推進課にて配布しております。

 今度この冊子について詳しくブログに書いてみようと思います。

 麻績の魅力が満載の一冊です。

 

 今日は早起きして充実した1日でした。明日に備えて早く寝ようと思います。

 

 そうだ。

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 ついに麻績にも春がやってきましたよ!